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CORPORATE HISTORY
日本利器工業の沿革
1867年(慶応3年):創業。代々日本刀鞘師の家系に生まれた亀井鐵治郎が日本刀関連製品の販売を始める
1876年(明治9年):明治維新の廃刀令により売上が激減、ナイフ事業に転換
1916年(大正5年):登山刀、はさみ、白鞘刀の製造販売を開始
1919年(大正8年):第一次世界大戦終戦。進駐軍より機械を購入し、カミソリの生産を開始する
1928年(昭和3年):関市日の出町において覇王安全かみそり製作所と社名変更しカミソリの生産を開始
1932年(昭和7年):昭和ブレード製作所と改称し、刃の自動研磨、自動防錆塗装、自動包装などの一連の自動化設備を設置
1940年(昭和15年):昭和ブレード株式会社と社名・組織を変更。資生堂と提携し、同社製品を生産・納入
1943年(昭和18年):資生堂利器工業株式会社と社名変更。陸海軍指定軍需工場として、軍刀、海軍用カミソリ、航空戦闘機飛燕の尾翼部を製造し軍に納める。社員が500名を超える
1944年(昭和19年):カミソリ月産350万個という当時としては記録的な生産量をあげる
1948年(昭和23年):日本利器工業株式会社と社名変更
1952年(昭和27年):当時の社長亀井鐵治がアメリカより招待を受け、岐阜県で初の海外渡航者としてアメリカを訪問。岐阜県発行の発行番号1番のパスポートは今も社内に残っている
1953年(昭和28年):当時の社長亀井鐵治がアメリカより日米貿易検査官に任命され、岐阜関と新潟燕の製品の対米輸出を開始させる
1956年(昭和31年):世界初のステンレス替刃の製品化に成功。資生堂ポアンカミソリの刃として発売される
1964年(昭和39年):新工場完成。同時に現住所(関市小瀬)に移転
1966年(昭和41年):2代目代表亀井銀一が生前勲章として勲四等瑞宝章を賜る
1968年(昭和43年):2代目代表亀井銀一永眠
1972年(昭和47年):日本初のプラスチックを使用したカミソリ「マッハ3」を開発、生産開始
1977年(昭和52年):資生堂アイブローシザーズ・ニッパーズ製造開始(現在も販売中)
1981年(昭和56年):日本初の刃にセーフティーガードを取り付けた商品を生産開始
1990年(昭和56年):資生堂プリペアブランドのカミソリ3アイテム(顔そり用L、顔そり用T、わきそり用)、眉バサミ、毛抜を同時に生産開始
2002年(平成14年):ISO14001認証取得
2010年(平成22年):オンラインストアでの販売を開始。会社WEBサイトを公開
2013年(平成25年):ユニバーサルデザインの「みんなのはさみ」販売開始
2014年(平成26年):みんなのはさみ(ミニ)販売開始
2015年(平成27年):世界最小幅のマイクロガードを取り付けた刃の生産を開始
2016年(平成28年):両刃カミソリホルダー販売開始
2018年(平成30年):WEBサイトリニューアル
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